History
三重県出身のポール モタンレー(かっちゃん)、ジーン コルレオーネ(たけちゃん)、ピーター ユニソル(トリス イワサキ)、そして、愛知県出身のエース スベーリー(やまさん)の4人が集まり誕生したバンド。
このバンドは2012年結成であり、バンドそのものの歴史が浅い分、これまでのプロセスというか、個々のメンバーのバイオグラフィーも含め少し詳細に紹介しよう!
ポールとジーン
ポールとジーンは高校時代の同級生であり、竹馬の友でもある。
保育園、幼稚園、そして同じ小学校に入学した。その後ジーンは転校するが、高校で再会する。
高校三年の時には文化祭で同じバンドを組み、伝説のバンド「スペルマーズ」を結成。
気の荒いドラマーなど個性豊かなメンバーをポールがまとめていた。
なんか放送コードに引っかかるような、パンクバンドのようなネーミングなのだが、当時流行っていた洋楽、邦楽のコピーが中心で、いたって普通のバンドだった。
「Easy Money」、「Eater Saito」、「コツコツ林君」等のオリジナル曲もあった。
その中でも「日の源のばあちゃんの歌」は特別な曲であり、死ぬまでに機会あればもう一度演奏してみたいと思っているノスタルジックというか青春プレイバックな曲なのである。
20代の頃、ポールの運転するクレスタでビートルズやアルフィー、アリスなどを二人で大声でハモって近所をドライブすることが頻繁にあった。その経験が今のバンド活動に生かされていることは言うまでもない。
ジーンとトリス
ジーンとトリスは、当時ジーンが高校の教師だった頃の直接の教え子であり、いわゆる師弟関係である。
だから比較的歳も離れており、トリスはメンバー内では一番の若輩者である。
ただ、風の噂では熟女好みらしい。
ただジーンをバンドの世界に引き込んだのは、何を隠そうこのトリス。
トリスが高校時代にバンドを結成した際、秋の文化祭の時に先生であるジーンをボーカリストとして発掘、Boowy、ハウンドドッグ、ブルーハーツ等を演奏。
それ以来、ジーンはバンドの世界にハマっていく。
それから四半世紀に渡り、現在もこうやって師弟関係で一緒にバンドをやっているのだ。
ポールとエース
ポールとエースは名古屋にある職場が近所で、縁あって他で一緒にバンドを組んでいた仲良し関係。
エースは若かりし頃からバンドを組み、どんなジャンルでも無難にこなすユーティリティープレイヤー&テクニシャン!
もともとKISS大好きで当時からリフやリードをガンガンコピーしていた。
今回、運命的な出会いによりエースはメンバーとなる。
根っからの熟女好みだという噂がある。
ポールも80年代洋楽全盛期にどっぷり浸かった、洋楽フリーカー。
女子にもてたいという不埒な理由で、高校時代からバンドを組み、高校三年生の時ジーンと組んだ伝説のバンド「スペルマーズ」は前述のとおり。
今回ジーンとは約30年ぶりのグループ結成となる。
普段はJazzやBluesを好んで聴くようだ。
聞くところによると、熟女が好みだという。
Scream ~ KIDS ~ KITSS
昔から熱狂的なKISS ARMYであったジーンは、飲み屋のイベントで2曲演奏することになり、それならKISSしかないだろうの一心から教え子のトリス、そしてジーンの同級生のクレイジー横田らに声を掛け、2000年、「横田バンド」を期間限定で結成。
ジーンとトリス以外がメイク、二人は素顔、しかもジーンはギターを担当していた。
本人たちの予想に反して活動が不定期ながら動き出したこともあり、四日市でKISSのトリビュートバンド「Scream」を結成。
ジーン、トリスもこの頃からメイクをするようになる。
ある飲み屋のイベントで某バンドのリーダーとどちらが集客出来るか勝負することになる。
敏腕プランナーとしての才覚のあるジーンは東海地区が誇るギタリスト・あの「toby前田氏」とのユニットを結成することを考案、「toby with Scream」では100人動員ライブを達成、大勝利を飾る。
「Scream」はその後「KIDS」と改名。さらなる活動範囲を広げる決意をする。
初めて「ガリバー」のロック伝説に出演するご縁をいただくも、あまりの不甲斐なさに酷評されることになる。
「別に酷評されても自分たちが楽しければそれでええやろ」と主張するメンバーに対して、「あんたがオドオドしてることが俺たちが笑われた原因だろ、やっとれんわ」、一人を残しジーンとトリスを含む3人は脱退。
2009年ジーンとトリスを含む3人が「KIDS」を脱退し、以後はちゃんとしたバンドとしてやっていきたいという決意のもと「Patoriots」を結成。
そんな中、社会人になってからバンド活動を休止し、カタギの生活を送っていたポールが、20年ぶりにバンド活動を再開し、「Patoriots」のリードボーカルとして加入、現在のRubGunの母体が出来あがる。
2011年、四日市で「オヤジバンド合戦」が開催される事が公表され、コピーバンドが条件であることからジーン、ピーターは合戦参加を決意!
ポールにもメンバーとしての参加を要請し、快諾。
そしてもう一人のギターはートリスと同じ高校の教え子「 てらちゃん 」がメンバーに入る。
こうしてメンバーが揃い、2011年10月に「KITSS」が結成された。
そう、「KITSS」結成時のエースは、実は今のエース(やまさん)ではなかったのだ。
エースはもともとメンバーではなかったが、偶然に偶然が重なり、突然メンバーとなったのである。
ただその件は後で説明しよう。
KITSS ~ オヤジバンド合戦1予選
2012年開催の「オヤジバンド合戦 四日市の陣」は、1月のDVD審査を経て、審査に通った20組が2月に予選会を実施、最終的に残った10組が3月に決勝を戦う。
ただ演奏できるのは2曲だけだ。
数多くのKISSナンバーの中からメンバー達が選択したのはこの2曲
♬ Shout it out Loud
♬ I was made for Loving you
この2曲をエントリー曲としてDVDにまとめた。
結果、47組の応募から20組に絞られる審査で「KITSS」はなんとか第一次審査をクリアすることができた。
メンバーは皆喜んだが、まだDVD審査に通っただけだ。
2月の予選会をクリアすべく、さらなる練習で課題曲の精度を上げていく。
そんな中、2月の予選会を明日に控えた夜に大変な連絡が入った。
ギターのエース(てらちゃん)の実母の具合が思わしくなく、明日の予選会が出られるかどうかわからないとの事。
メンバー全員は、エースの実母の容態回復とエースが予選会に出られる事を祈った。
選会当日
てらちゃんの実母の容態はまだ回復せず、絶対安静の状態が続いている。
結局てらちゃんは、万が一の事態に備え、予選会を欠場することとなった。
やむなくメンバー3人で予選会に望む決意をしたその時!
ポールは、当日予選会の様子を撮影に来てくれる「やまさん」に連絡を取った。
ポール:「やまさん、今日撮影に来てくれるんだよね?」
ポール:「やんごとなき事情があって、撮影よりも今日予選会にメンバーとして出てくれませんか?」
やまさん:「え~!」
ポールは、以前からバンド仲間だったやまさんがギタリストであり、しかもKISS好きであった事を思い出し、「だめもと」で予選会の出場を打診した。
まさに ~ Nothing to lose! ~
すると、やまさんは、少し間を置いた後「とりあえず器材を持って今から四日市に駆けつけるわ!待ってて!」
~ Can I believe it ? ~
おもわずメンバー3人は雄叫びを上げた!
四日市に到着したやまさんは、とりあえず器材を持って来てくれただけでなく、なんと”皮のステージパンツやカツラ”も持参していた。
すぐに駆けつけた割にはこの用意周到ぶり
~ It’s Great ! ~
ぶっつけ本番でステージにあがる事はあまりに危険、予選会の出番までまだ4時間くらいはある。
すこしでも合わせて練習するため四日市の「LastWaltz」を急遽貸してもらい、2時間程度練習する。
さすが!その昔にKISSをコピーしまくっていたやまさんだ。
2時間程度の練習でなんとかステージに上がれるレベルにまで持ってきた。
とはいえ、予選会はフルコス&フルメイクで望むことになっている。
本番用ステージ衣装はここにはなく、かろうじて皮パンとカツラを持参。
「よし!メイクもやろう!」
即興でメイクも仕上げ、急造ながらもフルメンバー、フルメイクで予選会に望める事になった。
そして予選会本番!
マイナートラブルはあったものの、なんとかうまく演奏することができた。
後日、結果が発表され、見事予選審査を突破し、あこがれの決勝のステージに立てることになった。
その後、エース(てらちゃん)の実母は奇跡的に容態が回復し、予選会をクリアしたことと併せダブルの喜びに包まれた。
しかし、今後も容態が悪化する懸念は残している。
いろいろ考えた結果、3月の決勝本番に向けて絶対絶命の危機を救ってくれたやまさんに引き続き決勝もお願いすることになり、いったん断ったやまさんも、他メンバーの説得と熱意に打たれ承諾した。
こうしてやまさんが新しいエースとして「KITSS」のメンバーに加わることとなり、本番へ向けて仕上げていくこととなった。
KITSS ~ オヤジバンド合戦1決勝
2012年3月4日 オヤジバンド合戦 四日市の陣 決勝
四日市文化会館 第一ホールにおよそ1000人の観客を集めて行われた。
決勝は、予選を勝ち抜いた10組の精鋭達!
自分たちはバンドとしてのキャリアも浅いし、テクニックも無いからパフォーマンスも含め総合力で勝負だ!
とにかく
「楽しく盛り上げて行こう~!」
をモットーに一生懸命やりました!
” 結果は第3位 ”
演奏のクオリティをはじめ、課題はたくさんあるけれど、こうやって結果が出ることはやはりうれしいね。
初めてのステージで大きな勲章をもらいました。
それ以上に、ここまでの紆余曲折を乗り越えてきたプロセスにオヤジ達はいたく感激したのであります。
~ God bless you ! ~
KITSS ~ Rub Gunへ
オヤジバンド合戦というお祭りは終わったものの、さらなる高みを目指して、KITSSは今後の継続的な活動へ向けて再始動。
そんな中で、いろんな方から「バンド名が読みづらい」という声をもらった。
そもそも、メンバーや関係者の頭文字を一字づつ取って並べたのが「KITSS」の由来。
メンバーで話し合った結果、バンド名を変更することにした。
そして決まったのが“Rub Gun”
さらにオヤジパワーを全世界に見せつけてやるべく、鋭意活動中!
今夜も危険なオヤジの弾丸が皆を熱く撫でまわす ~ Rub Gun!
●富洲原GENKIフェスタプロデュース
トミスミートの坂口社長から総合プロデュースをご依頼いただき第4回~10回まで、ポールとジーンが総合プロデューサーとしてイベントを成功に導きました。
●親父バンド合戦2準優勝~東海ラジオ出演~神奈川ツアー
親父バンド合戦1で三位、3年後の親父バンド合戦2で準優勝してから三重、愛知、東海地区内ライブハウスからの多数のオファーをいただけるようになる。やがて100人~300人とライブハウスの規模が大きくなるにつれ、たまたまライブを観にきていた東海ラジオの関係者の目にとまり、東海ラジオ主催、社会人親父バンド大会出演の機会を得る。その後もRubGunの勢いは留まらず、神奈川県横須賀市のライブハウスからのオファーが届き、東海地区以外で初の関東ツアーを慣行、ここでも大盛況を収める。
●2015年四日市祭り特設ステージ
●RubGunArmy
RubGunあるところに美女あり
●コロナによるライブ活動の休止とピータートリスの病気療養による活動停止
全世界的なコロナウィルスの蔓延により全世界的にライブ活動が自粛となり、RubGunも活動停止を余儀なくされることとなる。
2023年ようやくコロナも落ち着きをみせてきたことからバンド活動を再開する準備に入ったさなか、RubGun結成以前からドラムを担当してくれていたピータートリスが肝機能障害による重篤な肝機能障害を患い、活動再開は暗礁に乗り上げてしまう。
トリスのネーミングからも分かるように長年の飲酒によって彼の肝臓が命に係わるまでその機能を失ってしまっており、日常生活にも支障をきたすほどであることからバンド活動を続けることは事実上不可能になってしまう。
●エリオックシンガーの加入
ピーターの奇跡の復活をまで、サポートメンバーとしてのドラマー探しを行い。富洲原のイベントでカッコいいパフォーマンスを魅せていたドラマーのリオ君を誘ってみたところ、RubGunへの参加を快諾、手始めにアンプラグドのライブに向けて練習を始めることとなった。エ「リオ」ックシンガーの誕生である。エリオックシンガーが加わった新生RubGunの復活ライブは四日市のVeeJayでAIQさんとの2バンドで行われた。このライブには腹水がたまり歩行すら難しくなっていたピータートリスも新妻と応援に駆け付けてくれた。ライブは大成功に終わる。さらに名古屋栄はムジカでのイベントにも参加、アンプラグド構成のKISSはここでも好評を得る。
●RubGun第2期へ
2024年3月、6月末に行われる名古屋栄のROXXでのイベントからオファーが入り、神奈川遠征以来のフルメイクフルコスでの参加を決意。
富洲原の花火大会イベントで数回フルメイクでの演奏は行ってはいたが、これはあくまでお祭りのイベントへの参加であり、幼児、小中学生の来場者多数いることからいわばオブラートに包んだパフォーマンスに留まったものであり、本気のRubGunとは程遠いクオリティのものであったことから、その意味では久方ぶりの気合の入るイベントであった。ドラムはサポートから準メンバーとなったエリオックシンガー。
●エリオックシンガーが第2期正式メンバーに
ライブがひと月後に迫ったある日の練習後に、リオ君から衝撃的な話がされた。それは彼の叔母さんが悪性の癌に罹っていることが分かり、余命がほぼひと月であることだった。
それを聞いてもちろん、叔母さんはもちろん、お母さん、祖父母にサポートを最優先してあげること、そしてもしもの時はライブが例えキャンセルとなってもそんなことは気にせず、最期まで叔母さん、家族を最優先にしてバンド活動は余裕のある範囲内で構わないと伝えた。
刻々とライブ当日が迫る中、ドラム抜きでの練習を行った。その間はエースが作成したドラム演奏のみの録音をスタジオに流しながらの練習であった。
そしてライブ当日、叔母さんの容態は持ちこたえておられると聞き、夜からの演奏が始まった。ライブは大盛況に終わり、メンバーで夕飯を取り会計しようとしたあたりにリオ君の携帯が鳴った。「緊急なのでこれで失礼します」、何が起こったのかは聞くまでも無かった。
翌日リオ君からメンバーのLINEに叔母さんが昨日お亡くなりになったこと、ライブは現実を忘れて楽しく出来て幸せであったことが記されていた。まるでリオ君の叔母さんが最期の命の灯を、リオ君の演奏が終わるまで灯してくれたのではないかという気がした。きっとそうなんだと思う。今回のライブに来てくれたお客さんからは以前の RubGun 以上に今夜は素晴らしいよりパワーアップしたものを見せてくれたとの評価をいただけた。
ギターのエースのやまさんが加わったのもあり得ないご縁であったが、今回のリオ君にしてみても不思議な力で引き寄せてもらったように思える。病に倒れてしまったピーターに代わり、エリオックシンガーが2024年6月から正式メンバーとして参加となりました。
●ジーン、ソロ活動
2024.8.17松阪の有名ライブハウス、マクサにて開催された「生バンドde歌合戦」に本名で参加、竹内力の「欲望の街」を歌唱する。
司会者からRubGunのベーシストであることを紹介される。